歴史の象徴的改変 1Q84のもついみ

歴史の象徴的改変 1Q84のもついみ

歴史を作り替えることはむずかしい。ネット右翼らの試みた日本のアジア侵略史改変の試みも、歴史学の前で事実上頓挫している。だが、その意図の正誤にかかわらず、彼らのやろうとしたことは歴史を実際に改変しようという試みだったわけで、村上春樹1Q84で試みた、歴史を象徴的に改変しようとする試みとは次元を異にしている。
村上は、1980年から90年の間のどこかにおいて、ある歴史的事実が生じるべきであった 、それがなかったことが、21世紀を迎えて今日のとんでも日本、世界をもたらしたのだと、おそらくは考えている。そして、小説の世界、1Q84のなかでその事実をひきおこした。
そして、それはベストセラーという形態をとって、物語として多くの人にばらまかれた。
この本の出版以後、現実の今、2009年は実際の1984年に加えて、1Q84年という象徴的過去を含み込んだ、200Q年に変わったということができる。
すでにこの200Q年という連想は、複数の人々の感想の中でつかわれており、自然発生に近い。

事実としての過去を変えてしまうことはできない。だが、過去を象徴的に改変することはできるかもしれない。それは過去を実際に変えることはできないが、過去があたかもそのような過去であったならばそうなるのが当たり前であったように、未来の方向を修正する。その修正を通じて、もしかしたら、象徴的な修正された過去こそ本当の過去だったのだ、 と思えるようにまで至るかもしれない。

村上春樹は読売新聞のインタビューでこう言っていた。
「M 僕らの世代が1960年代後半以降、どのような道をたどってきたかを考えていくべきだという気持ちはあった。僕らの世代は結局、マルキシズムという対抗価値が生命力を失った地点から新たな物語を起こしていかなくてはならなかった。何がマルキシズムに代わる座標軸として有効か。模索する中でカルト宗教やニューエイジ的なものへの関心も高まった。「リトル・ピープル」はそのひとつの結果でもある。」