反資本主義派結集の必要

フランスの政治情勢は、日本より先に進んでいる。
トロッキー派が解党し、反資本主義新党を立ち上げているし、その派には、
若い層の支持がある。

日本では、自民党が選挙の結果、政権交代が起き、民主党政権ができた今になって
ようやく、反資本主義派(左翼と呼びならわされているもの)結集の可能性と必要性が生じている。


それがどのような形態とみちすじをとるかは未知数であるが、政治主導のフランス(フランス革命以来の伝統)と同じような形態をとらないかもしれない。
いずれにしても、反資本主義的結集軸が存在して、はじめて、それは可能になることは確かである。だから、それは必要なのである。
だが、その言説は必ずしも政治的な言説中心であるとは限らない。我が国は、政治的には後進国であるが、それゆえ、先進国であるフランスには自明であり、すでに達成せられていることをも含んで、獲得しなければ、結集軸とはならないだろう。


どのような組み合わせが必要かという議論もすでにされて久しい。だが、政党は結局のところ、社会変革のための道具であり、変革過程の一部でしかありえない。


かつては、優れた政治家は政治家としてばかりでなく、学者(理論家)としても一流でなければならないというプラトン哲人政治の形こそが当然のこととされてきた。
マルクスレーニン孫文毛沢東はその典型であり、スターリン金日成もそうでなければならないという建前があって、理論や本を出した。宮本顕治不破哲三がせっせと本を出したのもそういうことだ。だが、それはだんだん建前だけのものになりつつある。ちんけな役立たずのものや、無理なものや、自分たちのとった路線の擁護論でしかなければ、そうなる以外にない。


政治がきちんとしたものであるためには、正しい理論にもとづかなけれぱならない、というのはもちろん正しいが、同一人物が、一人ですぐれた政治家であると同時に理論家であることは難しいのである。理論ももちろん、社会的道具である。一人の力でできるものではない。