ドレフィスじけんとにほん

100年ばかり前の日本。
ドレフィス事件に匹敵するようなえん罪事件があった。

無実の幸徳という りっぱな しゃかいしゅぎしゃ が しけい に なった。
それが、えんざいであることを しっていたものは おおかった。
が、ドレフィスじけんの ように こうぎうんどうは おこらなかった。
さっか、ながいかふうは、とうじ、たちあがれない じぶんたちの おくびょうさを はじた。

かれが おもったとおり、それいこう、にほんでは、じゆうと じんけんを まもって こっかに こうぎする けいこうは、おさえられるようになる。

こっかに さからえば、こうとくの ようにされる。たいぎゃくじけん、なんとおおぎょうな なまえだ。

もし、そのとき、おかしいことを おかしいと いえ、こうとくの いのちを
すくえていれば、にほんの そのごは かわっただろうと いうことだ 。

いままた、にほんで おなじことが おこっている。
にほんは ふたたび、おなじ みちを たどってはいけない。