ぼくらは もっと シンプルに できる

ぼくの せいかつを ふりかえってみると、 えんの ない しょうひんが  あふれているのに おどろく。 
 
パソコンにしても、 10年まえの ものは  ちゃんと うごくのに、どんどん しんせいひんが でて、まえのものは つかえなくされていく。つかえるのに。

だれかが せっけいずを  かいているのでは ないかと おもえるように、よのなかの しくみは かえられつつある、ないしは かえられようとしているが、 それを きめているのは ボクたち しょみんではない。

たばこの すえない しゃかいに だれが しようと しているのか。

だれでも ないのだ。 しぜんげんしょうなのだ、と ぼくたちしょみんは おもおうと する。 だが、 だれでも ないなんて、あるだろうか。 

きめている だれか が いるのだ。

ぼくら しょみんと その きょりは とおく はなれている。だから ぼくらの めからは かくされている。でも よく めを こらし、 あたまを めぐらすなら それが じつざいする ことは わかる。

きめているれんちゅうの やろうと してていることが おかしいなら、 かれらに きめさせている しくみを かえなければ ならない。

ぼくらは もっと シンプルに できる。