私企業の物質性と、諸民の権力

きょうはインフルエンザ用のマスクを念のために携行する方が良い。午後、福島原発の原子炉内の空気の入れ替えが行われるからである。内部の放射能を低減させる措置の完成として、行われるのだが、「若干の放射能がもれる」ことは確実である。どの程度かはわからないが、その措置を検討していた会議では、かなりの量が出る可能性も言われていたと伝わってきている。また、風向きによって、東京には、直撃せずに数日たった日に突然やってくるということもありうる。
こういう時のために、スピーディーというのがあるらしいが、どこで見られるのやら。とりあえず、気象庁の予測を参考にしよう。


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浜岡原発をすべて停止せよ、
との判断を菅総理はした。
それをよしとする。
 

だが、中部電力は決められずにいる。


優柔不断だからだろうか。いや、ちがう。私企業だからだ。


私企業の自由を前提にする資本制社会、それが今の日本だ。


そして、資本制社会における私企業の本姓とは、利潤の追求ということだ。
この物質性は、変えることはできない。
東京電力は、原発が制御不能におちいった瞬間にも、廃炉確実な方策を選ぶことができなかった。
原発にはすでに多額の金がかかっているからである。なんとかして、それを直して使いつづけたいのである。
中部電力も、國の決定があっても、それが法律的強制力をもたないので、自分から停止を決定することができないでいる。電力需要と供給の動向を確かめて、などといいながら、決定をさきのばしした。


もちろん、政府の姿勢がひっくりかえらない限り、浜岡は止まると思う。菅政権が転覆したら、わからないし、抵抗勢力はいろいろな動きをするだろう。


私企業はしょせんはもうけ第一のエゴイズムである。それがどのような大企業であっても。(立派な孫さんの動きであってもソフトバンクという1私企業のエゴイズムがもとである。)


彼らに原発停止を強制するもとになる力は何か、


諸民自身の運動と圧力、それのみが普遍的なものを守る唯一の根拠である。


人民の、人民による、人民のための政治
つまりは、プロレタリア(諸民)の独裁
である。この二つは同義語である。


今は、それは、永田町にではなく、渋谷を、高円寺を、各地を歩く庶民たちのデモ行進の中にある。