不信任案の顛末

菅不信任は否決となった。


小沢、鳩山が、菅がやめるという言質をとったからということで撤退したからだ。
民主党内は、小沢グループの一部が棄権したが、不信任案に投票した人はふたりだけ。


小沢氏の評価は割れている。だが、今回の行動は、彼の限界を示したと菅井は見る。


小沢氏は、「戦えない」政治家なのだ。彼の政治手法は、「交渉と妥協」、つまりは仲間内の政治なのである。戦うと見せて脅しをかけて、相手から譲歩を引き出す、そういうやり方だ。話し合いなのだ。
だから、小沢氏は、今回も成果があったからこれでよいと思ったのだろう。


小沢氏の今回の行動は、彼のやり方からいえば、普通である。小沢氏に、戦ってくれることを期待する人がいるとすれば、
それは幻想である。


だが、菅は本当に退陣を約束したのだろうか。はなはだ疑問である。「復興のめどがつくまで」という言い方は前々から菅がいっていたことである。特に新しいことではない。そもそも、ヒトラーや菅のような政治家は、独裁者であって、人との妥協、交渉によって動くことはない。まわりから、ひきずりおろされなければ、決してやめないものだ。


菅がやめるとすれば、実質的に彼のまわり、メディアなどがもう菅はやめるという前提でうごきだしてしまう場合のみである。
約束などは彼の場合拘束力はない。菅支持派は、テレビや新聞はそう動くだろうか。


菅井には、不信任案可決したら菅は解散総選挙を平気でやる気であることを知って、鳩山小沢らがびびって、鉾をおさめてしまったというのが、真相のような感じがする。鉾をおさめる口実が、なんとでも解釈できる言質だった。
だが、くりかえすが、菅のような人間にとっては、言質には何の力もない。


その言質を既定事実として、周囲(中にはアメリカも含む)が動き出すかどうか、それがすべてだ。


そして、あれだけ戦うポーズをしながら、国民に何の説明もせず、撤収して戦いを避けた小沢氏は。
自らの戦いのラストチャンスを逸したことになる、多分、と思う。