ソ連は国家資本主義だった?

ソ連が解体される前は、
ソ連社会主義社会である」と普通に言われていた。
反・社会主義の人々も「ソ連社会主義だから悪い」と普通に言っていた。
ま、反・社会主義近代主義派の中には、ソ連開発独裁の一種であり、基本的に明治維新国家と変わらないという者もいたけれど、彼らには、社会主義という概念がそもそもなかったのだ。


それが、ソ連が解体され、社会主義の世界経済体制が消滅すると、
「実は、ソ連社会主義ではなく、国家資本主義であった」という意見が広がった。
日本共産党も、そういう見解のように思える。


だが、市場経済のある現在の中国をさして、国家資本主義と呼んだり、
国有化を先行したりしながら、国家主導で資本主義社会をつくりあげていった近代日本を国家資本主義と呼ぶのは納得できるが、
市場経済のなかったソ連を国家資本主義と呼ぶのは、おかしい。


中には、地下経済(たしかにこれは商品経済の一種だった)が黙認されていたことを理由に、資本主義だったという人もいるが、それは、おかしいだろう。計画経済が名目だけで、人々は生活物資をほとんど地下経済から得ていたというのなら資本主義と呼んでもよかろうが、それでも、それに「国家」という名を冠するのは不当だろう。実際には、ソ連の解体まで、国家の計画による生産と流通は、行われていたのであり、地下経済は、根絶されない例外と見るしかない。就職も消費も、基本は配給に近い形態が維持されていたのであり、それを商品経済とか市場と見ることは無理ではないだろうか。


国家資本主義とソ連を呼ぶ人は、ソ連を戦前日本と基本的に同じ社会だと見て、もう少し、統制が強かったのだと考えるのだが、菅井には疑問である。


資本の本源的蓄積とは、農民から収奪して、資本をつくりあげるわけだが、それがソ連で行われたと彼らは見る。短い戦時共産主義の時期のあと、方針転換して、ネップ、文字通りの資本主義化を行ったが、レーニンの意図とは違い、短期に終り、その後また社会主義に進んだと理解されてきたが、彼らは、スターリンの転換は、ネップのやり方を変えただけで、実質はネップ、つまり国家主導の資本主義だったと見る。五箇年計画もアメリカのニューディールや日本の富国強兵みたいなものと見るのだろうし、ソフォーズ(国営農場)がメインではなく、コルホーズ(集団農場)をメインにした農業集団化は、民営化の推進だったと見るのだろう。
だが、工業には民間企業はなかったし、企業間に原料などの市場があったということはない。
資本の運動法則が経済を動かしていたという事実もない。マルクス資本論がどのように、ソ連の実態経済にあてはまるというのだろうか。


もちろん、本源的蓄積の初期なのだから、いろんな形はあるのだ、というのかもしれない。だが、事実はソ連が倒れなければ、ロシアで資本主義は活動できなかった。資本主義を始めてみたら、ロシアには資本家が足りなかった。資本主義というスローガンは流行ったが誰も資本主義をわかっていなかった。
エリツィン以降の今のロシアはもちろん、国家資本主義そのものである。市場もある。そんなに順調とは言えるか疑問もあるが、明治維新政府とおんなじようなものだ、と言ってよい。だけれど、かつてのソ連を「国家資本主義」と呼ぶ人は没概念の人である。


そもそも、ソ連が本源的資本形成の初期資本主義の一種だったとするなら、その後に本格的な資本主義が、日本を今襲っているように花ひらくはずである。だが、ロシアは外国の資本の導入やマフィア的資本家が牛耳って、平均寿命も下がってしまった。資本主義が発達しつつある、などとお世辞にも言えるものではない。資源はある。だが、あとは、宇宙開発も原発も、ソ連時代のものを使い回しているのである。かつてのソ連社会主義世界体制の中心として、他の友好国や連邦内国家にたいして、多額の援助をしていた。今はそれほどのものは何もない。


ソ連が国家資本主義、つまりは初期資本主義であったという人々は、ロシアが資本主義に慣れることができず、かつての国力をとりもどすこともできず、苦闘している事実をどう見るのだろうか。