アイドル現象の唯物論的分析視角

日本では、子供はおとなになると結婚して家族(両親と子供)をつくるのが普通、という近代的前提が21世紀になって音をたててくずれてきた。
すでに、単身生活者が多数になったそうだ。


一生結婚できない人間がたくさんいるのは、今までだってそうだった。江戸時代だってそうだった。
だが、何はともあれ、結婚して家庭を持つというのが当然のありかたとされていた。
今は、そういう標準的なコース自体が、諸民を中心にくずれている。
ゆとりのある人の多いマンションのまわりなどは、今でも土日になると家族連れが沢山歩いていたりはする。そういうところもあるのだが。


これは近代的家族の崩壊といわれている現象だが、ヨーロッパやアメリカではもっとはやくから生じていた。


さて、家族の崩壊は、孤立した無数の個人を析出し、それらをばらばらにメディア、消費文化と管理社会が支配する、というのが、なんとなく進んでいるように思える。


国民葬背番号制も、嫌煙運動も、エコ運動も、警察の職質も、自己責任論も、ネットの言論統制も、その表われに思える。


だが、人々はばらばらになって、管理の無力な客体になってしまうばかりではあるまい。


最近、何度めかのアイドルブームといわれている。
今回のアイドルブームは、なんといっても、現場系アイドルということで特徴づけられる。

AKB48に代表されるように、小さなライブハウスで頻繁にコンサートを行って、かけつけて支持してくれるコアなファンを創りだして、さらにCDの売上や、テレビなどのメディアへの進出をしている。が、まず、会いにいけるアイドルということで、目の前のファンに対する歌や踊りやコミュニケーションで鍛えられることが中心になっている。メディア主導で、人気を獲得して、ライブといっても、何千人という広い会場でやるのが普通の既存のアイドルとはAKBが感じがちがうのは、そのせいであると思う。メディアに出ている時も、目の前の熱心なファンとの間でつちかわれた感性が働いている。昔、アダム・スミスという人が、理想的な読者に向けて文章は書かれるとかいったそうだが、現場系アイドルの理想的なファンは、あくまでも、イベントに来て、全力で応援してくれる目の前のファンたちなのである。

もともと、現場系アイドルは、CDが爆発的に売れるわけではなく、せいぜい数百人とかの熱心なファンたちが中核となって支えられてなりたっている。同じファンが何十枚も同じCDを、握手会やイベントの参加券として買ったり、頻繁に行われるかなり高額な有料イベントや撮影会や旅行にあししげく通ったり、さまざまなアイドルのグッズとかTシャツとかを買ったりする。つまり、そのアイドルにものすごい額のお金をみつぐ熱心にやってくるファンが中心となって、現場系アイドルの活動費をだしているのである。好きだから、育つのを応援したい、会いたい、話したいという気持ちをうまく組織しているからそうなっているわけだが、事実はそうである。
メジャーにならなくてもなんとかやっていけるのは、そういう経済があってのことである。
そういうかなりの負担は誰にも可能なことではないから、普通のファンは暴利だとか、ぼったくりだとか、事務所を非難したりして、離れてしまうファンも出てくる。


AKBの成功は、その現場系アイドルのファンたちの不満も利用している。AKBの初期の活動スタイルは普通の現場系アイドルと同じである。だが、しくんだのは、大手の会社であり、メジャーなプロデューサーである。つんく氏と同じで、おニャン子クラブをもプロデュースしたことのあるAKB48のブロデューサーはメージャーである。少数の大金をつぎこむファンによって成り立つような小さく完結していく仕組みを作るはずがない。
最終的に、アイドルといえば、AKBと人々の頭に焼きつくように、話題になるしくみを展開していった。そうしていけば当面は、力の落ちたハロープロジェクトにしだいに代わっていく。そして、CDの売り上げとメディア露出(メディアに集まるお金は、結局は広告宣伝費であり、資本制社会は大量の宣伝によって、人々に物を買わせてなりたっている)から大量の収益をあげて、アイドルの周りでビジネスを行う、事務所、広告会社その他を儲けさせるのである。現場系的な資質をつづけるために、AKB劇場の全国展開とかやっているが、一番になってしまいさえすれば、他のアイドルに意識をいかせないような宣伝と戦術をやれば、優位はおびやかされないのであって、既存のアイドルの経済のしくみなのである。


AKBのコアなファンと現場系アイドルのコアなファンの行動様式は似ているかもしれない。事務所のだしてくるやり方も似ているかもしれない。
だが、決定的に違うのは、普通の現場系ファンは、アイドルの活動を支えるためにそれらの行動をしているのにたいして、
AKBのコアなファンは、実質はプロダクションや広告会社やメディアやプロデューサーを儲けさせるためにそれらの行動をしていることになっているということだ。


本来、現場系アイドルはファンが増えれば、それだけファン一人当たりの負担は減るはずである。だが、AKBは逆である。


さて、でも、現場系アイドルのファンはなんでそんなにたくさんのお金をアイドルに使うのだろうか。いろいろな見方があるだろうが、彼らは、そこに家族のような親密さを感じようとしているのだと思う。男が、妻や子供を養うためにお金をかせぐのが当たり前なように、コアなアイドルファン(彼らは多分、稼ぎはあるが、家庭を持っていない人が大半だと思う)は、家族を養い、育つのを楽しむのと同じようにアイドルにお金をだしている。


近代的家族が解体したあとは、孤立した個人が管理社会にひとりひとり管理されるというのではなく、新しい、拡大された家族のような関係への模索と希求が存在している。そう考えるのである。