きょう8.15は終戦記念日
1945年のこの日、日本は戦争を放棄して再出発をはかる第一歩をはじめた。以来60有余年。
玉音放送は、日本人の不可欠な歴史的宣言文書。朗読義務文書。
敗戦の日と呼ぶ人がいるが、それはまちがい。敗戦は9月2日である。
国際的には8月15日は特別な意義はない。日本人と、日本に占領されていた諸国民にとってだけ特別な日なのである。


降伏交渉の流れを知っている今となっては、
「国体を護持し得て」には笑ってしまうのだが。


終戦記念式典 NHKは、黙祷と菅総理のあいさつ、天皇の言葉と黙礼だけを流した。
天皇玉音放送から60有余年たったのだから、その言葉がどういう結果となっているか
ふりかえる視点がほしい。

戦没者の追悼式をこの日にやる理由があるとすれば。
彼らの前で誓ったことがその後どう実現しているかを報告することだと思う。
死者に見せてあげることのできなかった我が国の復興のありさまを報告すること、
まがりなりにも戦争をしないでこれたこと、
原発事故をおこしてしまったことを詫びること、
だろうと思う。


NHKBSがアーカイブスで「認罪」というのをやっていた。戦後、中国が日本兵たちに対してやった
教育的裁判の記録。この当時の中国はやはり、すばらしかった。評判の悪い「自己批判
という言葉があるが、この時に中国の日本兵に対してせまった自己批判の要請には
真実があった。文革や、連合赤軍事件の際のそれとは一線を画する。

手塚治虫の戦争に関わるマンガのアンソロジーを読んだ。去年も八月には読んだように思う。反戦厭戦の物語ばかりだ。幸せな日常の生活を破壊する、人々の夢を命をめちゃめちゃにする戦争というモチーフ。幸せなまっとうな日常の感覚があって、はじめて、戦争、核兵器や、一瞬にして、日本を汚染世界に変えてしまった原発事故をなくそう、変えようとできるのだと思った。
いまや、まっとうな日常は、消費偏向、利潤動機、国家主義によって蚕食されている。