NHKBSアーカイブス カウランの大脱走

 同じ大脱走でも、洋画の大脱走の爽快さはみじんもない。
ニューギニア方面で捕虜になり、オーストラリアに収容された日本兵はカウランというところにいた。日本軍は、戦陣訓で「捕虜になることは恥ずかしいことだ」「捕虜になったら死ね」、と教育されていた。それがために、脱走すれば、撃たれて死ねるだろうと行われた。1944年8月のことだ。千名以上のうち数百名が死亡。捕虜になったことがわかれば、日本ではいじめられるということが背景。それは日本の風土である前に、まちがった戦陣訓の教育があり、ジュネーブ条約も教育されていなかったことが原因。主張したものは一部だったのだが、反対だったものも、臆病者といわれるから、言いとおせず、選挙しても、気持ちに反して、脱走賛成が多数となって決まった。死んだ人の中には、漁師で、船が徴用され、物資を運んでいただけの民間人もいたという。
 この番組を選んだ、加藤さんという東大の先生にして、解説で最後まで、「戦陣訓」教育がまちがっていたことに触れないことに失望した。人権意識の不在こそが問題であるはずなのに、「重い」「つきつけられた」で終わってしまった。これでは、カウランの時代と意識において何の変わりもない。
 救われたのは、番組中で、この「脱走」を全く無意味だったとはっきり断じた方のいたこと。