シュガーベイブからピチカート5、・・・

きょうは趣味のことを書こう。
山下達郎大貫妙子伊藤銀次らのいたシュガーベイブが好きだった。わくわくした。いま、聞く事のできなかった当時のライヴをyoutubeで聞くと、音はラフなのかもしれないが、やっぱりすごいな。
後、解散してソロになった山下達郎はすばらしかったが、ちょっと息がつまる的なかたい感じがあって、シュガーベイブにあったのびのびした自由さが失われた感じがしたものだ。吉田美奈子や竹内まりあなどとの共作にはすてきなものがあったが、後年はだんだん職人芸化してしまった。
シュガーベイブの曲の山下によるセルフカバーより、オリジナルシュガーベイブの方が断然よい。
バンドとしてとどまった当時兄弟バンドといわれたセンチメンタルロマンスの方が、曲質はちがうが、その後、いい感じでやっている。彼らの竹内まりあとの共作はまりあの若い頃のボーカルのよさを引き出していてすてきだった。暖かさは、たぶん、仲間としてやりつづけてきた彼らの内面からでている。

ピチカートファイブを今聞いていると、音としては、シュガーベイブの音楽の後継者はむしろ彼らだったと感じる。のりも、展開も。しかし、服装や歌詞は菅井には受け付けられなかった。ファンの広がりも大きくならなかった。消費社会の意匠を思い切り利用していたから。おしゃれな人たち向けの音楽。

つまりは、資本主義の発展期にあった、わくわくするような高揚が、中産以上階級の消費社会的なものに展開していったわけて゛、そこからおちこぼれていく菅井たち諸民には縁のない音楽になっていったのだ。

今、音だけをきいていると、わるくない。ター坊の声みたいだな、とおもったりする。歌詞を変えたら、シュガーベイブかも、と思ったりする。

だけれど、ピチカートファイブの音楽を今、アイドルおたくとセレブ趣味のアイドルユニット、バニラビーンズの歌できくと、ハイソな抵抗感が不思議になくすっと入ってくるのはどうしてなのだろうか。

時代だと思う。実現することのなかったシュガーベイブ的なもの・・・、をおもう。