欧米には寝たきり老人はいないのは何故?について

欧米には寝たきり老人はいない。胃から強制的に食事をとらせる手術もない、それはなぜかという記事があった。

菅井はてっきり、欧米では、老人たちが動ける限りは動いて生きられるように、リハビリも環境も手厚くあるからだということだと思って読んだ。


ところが、その記事に書かれているのはちがっていた。


それは欧米が「人間の尊厳」なるものを大事にして、胃に穴をあけてまで、食事をさせないし、点滴もせず、そもそも無理に食事を与えないからみなすぐ死んでしまうのだ、という記事でしかもそれに、賛成のコメントが多数のせられていた。


菅井は考え込んでしまった。


それは、ただいま進行中の医療費切り下げ、健康保険制度廃止の流れの中から出ている主張で、姥捨て山政策を推奨する見解ではないか。


年をとり、病気になる人や家族の気持ちに即した議論ではない。老人がどう生き、どう扱われるかというのは、それぞれの国柄によって一概には統一できない。ヨーロッパにはヨーロッパの人間觀があり、日本には日本のそれがある。


日本にも、姥捨て山的しくみはあり、かつては一般的なものだった。だが、いくつかの物語や文学作品を見ても、それは、つらい、悲しい、貧しさからするやむをえない選択としてあったのである。
今のように、豊かになったにもかかわらず、豊かさを自分たちで独占したいから、老人たちにお金つかうのは無駄であり、もったいない、というエゴイズムの文脈とは全く違うのだ。


菅井がそう判断するのは、他にたとえば、以下のような記事がネットにあったからだ。
コメントに書かれているあちらでは、「 治療決定をするときには頻繁にディスカッションしますが、家族が延命治療を望んでも最終決定権が医師にあり、断ることができます。」が本当なら、日本の実情からしてそれを導入すれば、悪くなりそうです。ディスカッションなんておざなりにしかならず、医療切り捨てが横行するでしょう。今はまだ、「家族や本人が入院継続を願っても、国家の決めたことの代理執行者として病院は、全て断っている」程度ですけれど。


以下引用
厚労省発表「健康寿命」でわかった“ムリヤリ長寿大国”な日本
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20120620/Weeklyjn_2047.html
2012年6月20日 15時00分
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 厚労省が6月1日、「健康寿命」なる新しい指標を算出して発表したが、これにより“長寿大国日本”の現実が浮き彫りになった。
 健康寿命とは、「介護を受けたり病気で寝たきりにならず、自立して健康に生活できる」年齢のこと。発表された数字は、2010年は男性が70.42歳で、女性は73.62歳だった。
 「これに対し、同年の平均寿命は男性79.55歳、女性が86.3歳。つまり、男性は9年余り、女性は約13年間、健康ではなくても“生かされている”ことがわかったのです」(健康雑誌記者)

 厚労省では、2022年度の平均寿命を男性81.15歳、女性87.87歳と推計し、健康寿命の延び幅が平均寿命の延び幅を上回るよう目標にしたいとしている。この現状について、世田谷井上病院の井上毅一理事長が言う。
 「平均寿命がここまで延びた原因は、食生活の向上と医療技術の飛躍的な進歩です。ただ、食べるものがよくなった結果、糖尿病などの生活習慣病が増え、高度な医療がそれを治療するという悪循環もあるのです」

 対策として厚労省は、健康寿命の延び幅上昇のため、ガンや脳卒中、心臓病などの生活習慣病による死亡率低減に向けた数値目標の設定や、成人の喫煙率も下げたいとしているが…。
 「WHOは昨年、アルコールの摂取によるガン、心臓疾患、肝臓病などで320万人の人が亡くなっていることを明らかにした。いずれはタバコに次いで、アルコールも撲滅したいとしている。日本ではたとえ公務であっても、終わるとアルコールが出てくる。対してフランスでは閣僚全員が酒を飲まないことを公言するほど。酒のCMを大っぴらにやっているのは世界で日本だけですよ」(厚労省関係者)

 結局、飽食の末に病気になっても、病院の手厚い看護で無理矢理生かされて平均寿命だけが延びているというのが現状なのだ。
 「病院としては患者さんがたとえナチュラルな死を望んだとしても、延命のため最善を尽くすのが当然です。結果、責任を問われるのは、我々病院の側ですからね」(井上理事長)

 健康と寿命のギャップは今後も広がりそうだ。》



そして、もとの記事

《欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=60441&from=tb

 ヨーロッパの福祉大国であるデンマークスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない」とのことでした。一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます。
 不思議でした。日本の医療水準は決して低くありません。むしろ優れているといっても良いくらいです。
 「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」
 答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
 その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
 ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。
欧米が良いのか、日本か
 さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
 家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています。(宮本顕二)


コメント

日本の特異性
[ヒロモチ]2012年6月21日

合点のいくお話でした。ありがとうございます。
「お上」という上方の概念はあっても「神」や「天」といった絶対的な真上の概念を持たない日本人においては、絶対的なものの代用として「死」を考えるという説があります。これに基くと「死」さえ避けられれば本人の苦しみや尊厳さえも気にしないという考えが生まれるのかもしれません。このような日本においては、自分の尊厳を自分で守るということも必要なのでしょう。
日本の医療に問題あり
[まり]2012年6月21日

こんにちは。
すばらしいサイトを発信していただき、ありがとうございます! 感謝します!!
わたしも、常に、このことを考えてきました。
医療側は、患者のことを、自分の立場にたって考えれば、現在のようなヒトの尊厳を破壊する医療行為は決して、できないはずです。
意思疎通能力を失った人を、物体として扱い、延命治療をすることは、医療側にとって利益をもたらすものかもしれませんが、患者の家族の心を深く傷つけ、家族に生きる意欲を失わせ、また、本人は、天国(または地獄)で、非常に、恥ずかしい思いをしていることを考えて、医療側は、家族とよく話し合って、対応をしていただきたいものです。

スウェーデンと日本の違い
[けいぞー]2012年6月21日

スウェーデンへ留学しておりました。
やはり寝たきり老人は存在せず、驚いておりました。
世界中からの留学生がいてディスカッションしたことを覚えています。

1、宗教観が違い、死に対する考えが違う。
キリスト教では脳死であり、意識がないことはたとえ息をしていても死である。当然、胃ろう、IVH等の行為は再生を妨げるため、悪であるとの認識があるようです。

2、最終決定権が医師にある。
治療決定をするときには頻回にディスカッションしますが、家族が延命治療を望んでも最終決定権が医師にあり、断ることができます。

いまの日本では延命治療はなくならないのではないでしょうか?

日常の中の「死」
[さくらなら...]2012年6月21日

Facebookで上記のサイトを知り拝読させていただきました。日々、現場、特に在宅で診療にあたっている医師です。

ここまでがんばって人生を切り盛りしてきた80歳代、90歳代の方たちが、最後の最後に来て、それでも「がんばって」生き長らえさせられる状況に大きな違和感を感じます。そうして「生き長らえさせられた時間」は一体誰のためのものなのでしょうか。これまでの人生を振り返り、終末期に向けた準備を、本人も、家族も少しずつ行なっておくことが鍵のような気がします。命はいつまでもあるのではなく限られたものであること、生きている間にしかできないことを、生きている時間を大切に向きあうこと...往診や外来で関わりを持つ患者さんや、家族たちに「準備」をしていただくようお願いしていますが、なかなかピンとこないことも...30数年の間にあまりにも「非日常」と変わってしまった「死」は、本来、日常の中の一部であるはず。もう一度、日本人にとっての「生きること」「死ぬこと」に対する価値観、文化の醸成が求められているのだと思います。

寝たきりは嫌ですね
[カズ]2012年6月21日

私の父も一回目の脳梗塞で右半身が麻痺、失語症になり、リハビリで歩行できるようになりましたが、失語症は回復できませんでした。10年後に2度目の発作がで、寝たきり、意識がなく、胃ろう、点滴で延命してました。病院での治療は、薬だけで、特に治療はありませんでした。

3か月目に他の病院に移るよう催促され、2度、病院を移転しました。父が亡くなった最後の病院は、地獄ですね。もし父が意識があったら気が狂うのではと思う病院でした。意志表示が出来ないで胃ろう、点滴での延命治療なら、拒否したい。

身内には言っておきたいですね。安楽死の選択ができればいいかな?

まったく同感です
オーパーツ]2012年6月21日

私の母は現在91歳になり、介護施設に約7年間お世話になっています。痴呆症も患っており、何も分かりません。ただ、食べて、排出しているだけです。そんな母をみていると「命」ってなんだろうと、いつも考えさせられます。

私は自分で動けなくなったら、食べられなくなったら、笑顔が消えたら死んだ方がしあわせと確信しています。自分のため、そして家族のためでもあると考えます。

呼吸をしていれば「生きている」と言えるのでしょうか。できることなら、自分の最後くらいは自分で決めるような死に方をしたと思っております。

希望がなくなったとき、笑顔が亡くなったとき、医療の世話にならなければ生きていけなくなったとき、それは「新しい死のあり方」だと思います。

先進国と言われながら先進国ではない国
[ワンちゃん]2012年6月21日

日本は先進国だと言われていますが、本当にそうでしょうか・・?
生きることへの願望は人以上に強いが自己の反省と責任は人任せなところが有り、これが先進国と言えるのでしょうか・・?

生きることとは、自力で生きる事なのに周りの色んな事で助けられていることを忘れてしまっている様で、それが当たり前と思っている。

違った発言すると非国民的な考え方と非難される。
人の命は尊いが余りにも過保護的に拘束をしてしまっているしか見えない。

今でも時々考えます
[ベッテイ]2012年6月21日

父は多発性脳梗塞を起こし、鼻に管を通して栄養を入れる人工栄養で1年半の闘病生活を送りました。
胃潰瘍で胃の半分がなかった為、胃ろうが出来ませんでした。
誤嚥しないように、口からは1滴の水さえ含ませる事が出来ず、鼻から通したチューブのみ。人口呼吸も同時にしていました。

どんなにか苦しかったことでしょう。でも、家族にとっては、息をして生きていてくれさえすればいい・・その思いだけで父を繋ぎとめていました。鼻か繋がれたチューブだけで生きていた父。

父が亡くなって6年経ちます。
今も、あの苦しそうな顔をして、必死に私達家族の思いに堪えていてくれた父の顔が浮かんできます。

現役時代に毅然と仕事をしていた父。
父の尊厳を奪ったのは、父と離れたくない・・
そう思った私達家族の我がままだったのかもしれません。

父が亡くなった後、ベットサイドから腰紐が2本出てきました。主に24時間在宅看護をしていた母が、何時でも使えるようにと隠していた物でした。

スウェーデンの寝たきり老人
[太郎]2012年6月21日

寝たきり老人がいないということと、少ないということは同じではありません。90年代後半、ナーシングホームにおける寝たきり老人はおよそ4%であるという政府報告書があります。

欧州での若年者の寝たきりについては
[とんぼ]2012年6月21日

植物状態の若年者について教えてください。
兄が10代前半の時、交通事故で、当時、植物人間(現在もこの表現は使われているか不明ですが)と言われる状態になり20年近く家族で面倒を見て看取りました。

結局、最後まで意識は戻らず口から食事もできませんでした。
私自身、家族もそれが正しかった事か納得ができる答えは出せていません。

兄がなくなってから父の認知症が発病しました。
父のを含めて延命処置の話をするのですが、結論が出ません、本人は延命処置はどちらかというと否定的だと感じますが、兄が生きているだけで家族の支えになっていたのは事実です。(私たちの場合経済的問題はなかったからかもしれませんが)母は父が兄のようになっても最後まで、面倒を見たいといいます。

最近、延命治療は家族のエゴなのかそれとも病人が最後にできる家族への恩返しなのかとも考えてしまいます。
10年ぐらい前、確か、アメリカで植物状態の人に栄養供給を止めて安楽死するニュースを目にしました。

兄の事を納得して前に進むためにも海外の例など教えてもらえれば幸いです。

寝たきり老人
[pochipocchi]2012年6月21日

全て欧米をまねる(学ぶ)必要はありませんが、寝たきり老人の問題については、はっきりしているのではないでしょうか。

安楽死とは違った範疇の問題ですが、人間の尊厳は人権のもっとも基本的な概念です。

医が算術になって久しい。寝たきり老人の問題は色んな原因と経緯があって現在に至っている。患者の親族にも大いに問題はあるが、責めは大方医者の側に帰する。

それなりの立場の人達(医者&僧侶)がもっと声高にこの寝たきり老人の問題について意見を述べないといけません。

死は忌むだけのものではありません。ある程度生きる事が出来た後は、死は解脱、解放なのです。

病院、医者に近寄らない方が良い、と思っているものです。還暦を過ぎたわが身にとって、早期発見は無用の長物です。手遅れとなって悩む事なく解脱、解放されたい。安楽死とは言わないが、痛み止めの薬を出してもらえればそれでよし、と閑雅ている次第です。







日本も欧米のようになりたい
[しずき]2012年6月20日

私も病院に勤めていますが、以前の急性期の病院では、何の疑問もなく胃ろうの患者さんを看てきました。しかし、今の病院にきて、寝たきり、胃ろうの患者さんの多さに驚きました。なぜこんなにしてまで生きなければならないのかと疑問に思うようになりました。

日本人は親にどんな形でも生きていて欲しいと考える子供が多いです。医師もこのまま死なせるわけにはいかないと、胃ろうを進めます。確かに、治療がなければ、入院していることが出来ない医療制度になっているので、そう進めるのは仕方のない事ですが、そのまま食べれなくなり、老衰のように死んでいくのは駄目でしょうか。麻痺が残り、ご飯が食べれなくなれば、それまで。それでは駄目でしょうか。私の親はそれを望んでいますし、私もそうしてあげたいと思っています。日本の医療がもっと良い方向に向かって欲しいと思います。 また、一般人ももう少し先の事を家族で話し合う機会を作って欲しいと願います。

寝たきり老人をつくらない
[ユタカ]2012年6月20日

私は寝たきり老人を作る事を医師法・健康保険法で制限すべきだと思います。
現在を考えると日本の老人病院が寝たきり老人製造機となっていると思います。

医師が医療を考えれば自然に世界基準と進んでいくと思います。
企業家と化した医師が寝たきり老人を作り、人間の尊厳を踏みにじっていると考えます。

私の父も後1週間の余命と言われてから病院で鼻へ管を入れられました。入院時、除痛はお願いしましたが延命治療はしないように申し出をしました。幸い? 鼻出血がひどく鼻に管はできませんでしたが病院とはそんなものかと思いました。

「もう死ぬのだから」医師の判断でなんでも行う。いやな思いをしました。

静かに最後のときを迎えることを本人も家族も望んでいても、なかなか難しい問題です。
私は、家族に囲まれできれば自宅でそのときを迎えたいと思いますが医師の協力がなければ無理だと思います。
日本医師会は医師の生活レベルは一般人は数段高いレベルにあることを肝に銘じていただきたいと思います。いい意味の選民思想を持っていただき国民全体の生活を守っていただきたい。

「ダバオ新日系人会」つぶやき」
[ダバオの浦太郎]2012年6月20日

胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は双方が不幸でしょう。
大往生したけりゃ医療とかかわるな
[ゲヒルン]2012年6月20日

大往生したけりゃ医療とかかわるな。「自然死のすすめ」中村仁一著幻冬舎新書新刊247は、医師としても、一般人としても一応は読むべき書物かと考えます。私個人、長らく脳神経外科医師としてつくづく、そのように思うことがありました。

但し、これもケースバイケースでありまして、医師のみが考えることではなく、国民全体がある程度のディスカッションの末にコンセンサスを得てからの方が良いと思います。今の現状では、医師が訴えられたり、訴えられぬにしても色々な非難の対象にされたりしかねません。

脳死の患者の臓器移植、認知症患者をターミナルケアを別枠の因子にて考える、望みのない悪性腫瘍患者のターミナルケアも、皆が一応は考えてみることでしょう。ターミナルケアを、医師は何度もみてきたもの、患者の家族は身内の死を直前にするのも始めての経験かも知れません。気管内挿管、気管切開、人工呼吸器装着、心臓マッサージ、胃ろう造設の決定を家族にさせることの意味が果たして重要なことか否か、中におかしな医師も混じっているのがこの決定をすんなりと決められない要素なのでしょうが。

日本の異常な医療
[すーさん]2012年6月20日

先生のおっしゃる通りだと思います。

死ぬことによって保たれる尊厳もある。
[赤錆練磨]2012年6月20日

生物は生まれたときから死ぬことが定められている。死ぬときは食べ物を自らの力で摂取できなくなったときである。自らの手で食べ物をつかみ、自らの口に運び、自らの咀嚼で飲み込む。この一連の動作ができなくなったときに私は死ぬ。それは明日かも知れないし、明後日かもしれない。しかし、それが私にとって一番望む死に方である。
人間の尊厳とは
[しんちゃん]2012年6月20日

終末期医療という言葉そのものが良くないのではと思います。
欧米に寝たきり老人が居ないということは当然で、人間の尊厳がしっかりと認識されているからだと思います。

我が家でも大人8名の意見が一致しています。
人口呼吸器の延命は拒否+口から食べモノが食べられなくなればそれ以上の延命治療は行わないということで、親子間の意思統一が出来ています。

医療機関の金儲け、或いは臆病な医者による延命処置は、マスコミ等の誤った人間愛による報道が大きな影響を及ぼしているものと思われます。

助かる可能性がゼロの場合は尊厳死を認めるべきで有るとも考えていますが如何でしょうか。

殺人であると訴訟を起こす医者も医者ですが、裁判所もきちんと意思統一をするべきですし、政治もしっかりとバックアップするべきだと思います。

医者から牧師へバトンタッチ
[太郎]2012年6月20日

ある本によると、仏では自分の手で食事が食べられなくなると、牧師の出番になる。書いてあった。
寝たきり
[イキイキばぁさん]2012年6月20日

欧米に寝たきり老人がいないという記事を読み賛同するとともに拍手を送ります。もちろん一人ひとりの人生観が異なるのは当然ですが自分がもし、そうなったとしたら自然な終焉に向かいたいと思いますし、そう考えている高齢者は多いと認識しています。

人の死は一括りにできることではありません。
ですからこそ、一人ひとりがきちんと自分の最後をどう迎えたいかを考えておくことが必要です。
私は60代半ばシングルですが、延命処置はしないでほしい旨、明確にしています。

誤解を恐れずに言うなら意識もなく医療の力のみで生命を維持していることが生きているとは私には思えないのです。