怒りの暴力性を見据えて

鬱屈しているモノには、暴力の危機がある。
怒りを持つものにも、怒りを出す行動が必要だ。


という唯物論的事実を忘れた「平和的デモ」主義は
内部にいじめや、村八分や、排除、はては粛清を
招く。怒りは、物質として展開するなら、激しい
ものである。それをためるにも溜め方というものがある。


田中康夫さんが自前のお金(?)で配ってくれていた
という白い風船、もらってずっともってたけど、なんとなくなあ。うまく処理できたらよかったのだけど。
とりあえず、ゴミにしないように持ち帰った。
映像にしたら、たくさんの風船がきれいだったのかな。


みんなの持ってるものといったら、やっぱり白い風船より
工夫を凝らした抗議のプラカードとかだろう。


菅井は今回は、2時間中、官邸に向かって、少しずつリ
ズムを変えながら
「再稼働反対」をみんなと言いつづけた。国会前の発言を
あまり聞いていなかったのは申し訳ない。でも、風船持ってるだけだったら、自分にはたえられなかったろう。


官邸前でのサウンドや、車道への展開、大飯での踊りや
なりもの、沖縄での三線、みな同じだ。
わなにかからないために、がまんしている、抗議だ。
ガス抜きと、いう人がいるが、一理あるとも思っている。
だけど、無駄に抜けてしまっうとは思わない。
声も運動だ。そして、自分に帰ってくる。


より底からの沈黙と、深い決意の塊のみが、平和主義的
な闘いを支える。それなきには、いろいろなものは拡散
してしまうだろう。