国会大包囲

菅井は遅めについたので、終りの方のデモに入った。まず日比谷公園には、反原連のスタッフもいたが、ぼけっと坐っているような人も残っていた。これからどう動くのか、よくわかっていないような人がいて、不思議な気がした。組合の動員系の人なのか、とにかくインターネット以外の情報で来ている人なのだろうと推察した。三鷹市民グループや東京土建の人たちのあたりでデモする。普通の個人もはいっている。
デモ自体はゆったり気持ちよくやれて、日比谷公園にもどってきた。日比谷公園は反原連スタッフの誘導員がたくさんいたが、途中の道にはほとんどいなかった。
包囲にはなんとか間に合うだろうと思ったが、誤算だった。国会正門へはいる道の入口で警察に止められてしまった。さっきまでははいれたんですが、今、いっぱいになったので右に迂回してください、とのこと。すなおに誘導に従ったが、残っている人もけっこういた。今にして思えば、ここで動かずに待っていれば車道に人があふれた時に加われたのかもしれない。国会前の車道は警察車両以外は通行止めになっていたのだから、車道解放になるのは予想範囲内だったのだろうし。あるいは官邸前への誘導もあったので、そちらに行けば裏には早く着けたかもしれない。近いところまでいっていたのに、もう少し早く着けば。惜しかった。
そして、それからが長かった。ようやく、参議院会館門前というところに着いた。あとでわかったが、それは、国会の正門前でも、裏でもなく、横だった。裏ならサウンドデモのにぎやかしもあったのだが、真横だったので何もない。それでも、人間の鎖が一重には囲ってすわっていた。驚いたのは、鎖に加わらず、横の路地で休んでいる人がけっこう沢山いたということだ。8時までいればどこでもよい、の考えの人もあるのかも。また、人間の鎖の前を左右に動いている人の列、まだ、自分のいる場所を決めてない人がずっと歩いていた。
 国会右横のその位置から動かないことにして、抗議の声を上げていた。するとある時から大量の人が動いてきた。聞くと、終りの宣言は出たかどうかわからないが、八時になったから終わって引き上げているのだという。帰っていく人は喜びにあふれている、という感じはまったくなくって、やや緊張した感じでいそぎ帰っていくという風に見えた。さびしい場所に陣取ってしまった目からの偏見だろうか。でも、帰っていく人たち多数からは「やった」という満足感のようなものは感じられなかった。
あとから空撮の動画を見てみると、車道にあふれて以後の国会正面はやはり人人人、小さな無数のライトできれいだった。
一方、菅井のいた位置は、一番暗い感じだ。懐中電灯をずっとかざして包囲には加わっていたのだけれど。


もし入り口で止められたときに待っていたら、正面に入れたかもとは思うが、それはそれだ。主催に協力したスタッフの多くは、参加したくても参加できなかったのだろうし。


短時間で、国会右横サイドの人間の輪の人もいなくなった。
空いた後で、国会正面にいってみた。すごい様子はもうなかったが、まだ、残っている人びともあちこちにかたまっていて、警察とスタッフが行動の時間は終りました。すみやかにかえってくださいとアナウンスしていた。ぼーっとした感じで余韻にひたっているとか、とまどっている感じの人が多いような感じだった。こちらには少し満足感のある人もあった。行ってみてよかった。
アピール場ではスタッフがバラシをしていた。ぐるっと回ると警察が柵の撤収をやっていた。こちらもイベント撤収みたいなものだ。


路上にあふれてしまったことをみんなはどうとらえたのだろうか。やばいと思って帰った人のツイートもみた。


空撮の女性レポーターは、上空からの正門前車道にあふれた人の明かりにひたすら感動していた。人々の力に対する自覚、ということだと思う。


ひとつだけ。個人が沢山参加していることは本当だが、本当に一人で参加している人は少ない。子連れも含めて、仲間で来ている、あるいはここで仲間になっている人が多いという感じを持った。ツイッターグループだって。反原連だって、いくつかの塊と個人のネットだ。旗を立てる立てないにかかわらず。個人参加とか、ふつうの市民とかいうのは、イメージとしてはあたっていると思うけれど、それが一人歩きしたら実態とは異なる。

まだ、参加者の中で本格的な議論や意見交換は始まっていない。

どうとらえたらよいのか、まだ迷っている。