官邸前抗議 その後

決定的に変わったことは、野田首相をひきずり出すことに成功しそうだということだ。首相は反原連と会見するといっている。
だが、菅井は基本的には26日に書いた通りの気持ちのままだ。会見して野田が方向を改めるとは思えない。


でも、体は動く。抗議やデモが体にもたらす作用は、意識にもたらすものと別みたいだ。たまたま、同じブロックに子供連れのおかあさんが現れたら、途端に自分はエネルギーが出た。不思議なものだ。参加各人が何を想おうが感じようが、実際にこの運動は、未来の世代に対する責任を果たすものなのだ。


野田首相が抗議メンバーの代表と会う(そう表現しておく)のが延びてお盆明けになるそうなので、前回書いたままの主体は宙吊りになったままいるわけだ。本質的に今の抗議は、首相に対する直接請願の性格をもっていたわけで(マイク抗議の大半は、野田首相に向かって呼びかけている)、結果がどうなるかはともかく、首相との会見実現はとても重要なのだ。
私と同じ不安を感じている人は他にもいるようで、すでに官邸前周辺では、原発に反対する以外のいろいろなイシューでの抗議がされるようになっている。


それらのイシューも含めて我々はまだ、何の得点も稼いでいない。ただ、メディアには載るようになり、その存在が社会意識の上で認められるようになったことがはっきり変わった点だが。


これからの分岐点は、ネット上をさわがせている、組合団体を排除するかどうかとか、原発以外の論点をまぜるかどうかという点にあるとはとうてい思えない。前者はきちんと確認してみればわかるがデマであり、後者はここまで大きくした今の抗議形態に対する無理解に基づいている。


菅井も含め、3.11以降いろいろな人間が抗議をやったことは本当だが、反原連の官邸前抗議だけが、本格的に参加人数の拡大新しい人の流入を目標にし活動を展開し、状況もあり、成功したのだ。そのやり方がゆきづまっているという証拠はない。


真の対立は、官邸前抗議を維持発展、強化するべきか、それとも、官邸前にこだわらず、さまざまなやり方で、さらに原発反対の声をふやすことに注力するべきか、ということにあるように思える。なんといっても、何万の人の抗議を毎週秩序をもってやるためには、反原連が示したように、大変な人員のスタッフが必要である。百人規模のスタッフが、案内、トラブル防止、ファミリーエリア設置のために毎回働いている。たまたま反原連には、イベント運営などの経験のある人たちがいたようで、熱心な若者の献身もあって、よくその仕事を果たしている。だが、ボランティアでやる以上、大変なのだ。この問題を前向きに解決しない限り、続けることは大変である。


その点では、反原連はすでに見解が少しずつ分かれてきているように思える。