ネットにあるべきもの

ネットにあるものとないものは、
以前はインターネットでページを持つ人がのせたい、見せたいものがのって、どうでもよいものはのらない、だったが、
今では、金儲けのために独占されるものと、どうでもよいものの違いになってしまった。
ネットにあるものはどうでもよいもので、本当によいもの、皆によんでもらいたいもの、知ってほしいものは、私的所有権の行使とやらで、のらなくなってしまっている。あるいは、ただに近い状態ではなく、かなりのお金を払わないとアクセスできない。


これは反対だと思う。初期の頃の、のせたいもの、みんなに観てもらいたいものがあるべきなのだ。私的所有権の情報への拡大は、弊害があるとしか思えない。


この状態が続くなら、ネットは、独立した知的世界をなすことはできないだろう。相変わらず、エリート、支配層は、彼ら独自の情報網をもち、それは、一般の諸民にはわたらない。


哲学などの、ていねいで落ち着いた思索などがネットに不向きなのは、それと関係がある。そもそも、そういう文章はネットでは手に入らない。もう一つの青空文庫が必要なのかもしれない。