現状の把握 その1 危機と変革の時代

反動期には、民主主義の陣営は、自らを守らなければならなかった。反動思想とどう根本的に違うかを確認することは、この時期に、陣地を保持するためにどうしても必要な事であった。

しかし、危機の時代には、それは変わる。危機の時代は変革の可能性が、客観的に現れる時代である。重点は、陣地の拡大であり、変革に向けて多くの人を運動の中に引き込み、新しい活動者を育て、また、新しい運動の組織をつくることに変わる。そういう時期なのである。次から次へと現れる矛盾は、思想上の線引きなどするまでもなく、次々と新しく人々を今の社会のおかしさ、非人間ぶりに気づかせる。彼らは自然発生的に行動に立ち上がる。この時大切な事は、運動を発展させることであり、多くの人をたちあがらせることである。運動の発展とは、数ではない。現実に与える効果である。姿を現すこと、状況を変更すること、あらゆるところに実は存在していた矛盾を顕在化すること。

民主主義の陣営は、人々の意識にではなく、実際に生じていることに注意を向けるべきなのである。民主主義陣営の中核である共産主義者すなわち唯物論者にとってはいまさら言うまでもないことのはずなのだが、まだまだこれが身に付いていない人々が民主主義の側には多い。

変革期と反動期の区別は、民主主義の戦いのいろはである。日本は長らく反動期が続き、しかもそれを運動が理解していなかったため、反動期の体制のままで、危機の時代に突入している。そして、正しい意識がないために、それの代わりとなって反動期の民主主義運動を支えてきたのが「戦後民主主義」思想だった。
その思想は、いままでも、全共闘により、保守的知識人により、ネットウヨクにより、繰り返し執拗に攻撃されつづけてきたが、それは、今まで民主主義側を支えてきたと思う。しかし、正しい自己意識とはいえなかったとも思う。

今は危機の時代になっている。課題は運動を広げること、活動をすること、「火をつける」(ドアーズの歌にある)ことである。意識ではなく、意識のいかんにかかわらず、実際に生じている事、物質に注目を。