現状の把握 その2 変革かファシズムか

もう一つ考えておくべきことがある。それは、日本はファシズム前夜なのか、変革(あるいは革命)の前夜なのかということである。

ファシズム(たとえば維新、在特会、安部総理とか)の要素があり、他方、官邸前抗議、反原発運動、反TPP運動、憲法改悪反対運動、など変革を求める運動が存在する。両者は戦っているのであり、どちらかになるかは、戦いの力関係のみが決める、と思っているのなら、それはまちがいである。

日本の経済的状況、世界の資本主義の中での位置(外交関係、多国籍企業の現状)などで、どちらかになるかは決まってくるのである。少なくとも昨今、すっかり忘れられている科学的社会主義唯物論の観点からはそうである。

20世紀初頭のロシアは、危機は深刻であったが、変革の前であった。20世紀前半には日本、ドイツ、イタリアがファシズム前夜であり、アメリカは持てるものとしてゆとりがあって変革をすすめた。フランスのように、ドイツに負けてしまったがためにファシズムになったところもあるが、基本は自国の社会、経済状況がそれを決めるのだ。

現状をファシズム前夜とみるか、変革前夜とみるかで、運動の方針は全く違ってくる。

菅井のみるところ、今のところ、自然発生的に、改革前夜とみての運動が展開されていると思うが、ファシズム前夜と観ているのにもかからわず、方針の立たないというニヒリズムも現れてきている。

ツイッターで観られる小競り合いも、本質的には、この問題と関わっていると菅井は考える。もっとも、今のところ、運動として対立しているとはいえず、言葉の応酬の段階であるが。