春秋の筆法でなくとも

 国連加盟国朝鮮に対する国連安保理の制裁決議の顛末は、以下のようになった。

 日米と中露の対立すりあわせに、イギリスが入るような形になり、玉虫色の決着である。中露は拒否権を発動せず、国連の一加盟国である朝鮮に対し、そのミサイル実験自体が平和と安全に対する脅威(このことばは強すぎるとして言い換えられているが朝鮮が悪いのだという含意は貫かれているので本質的には同一)であり、それに対しては、安全保障理事会が特別の努力をする必要がある、ということを国連として決めたことになってしまった。

 繰り返すが、事前の通告がなかったとはいえ、ミサイルの実験は日本国のような軍隊をもたない最高法規をもつ国は別であるが、どこの国でも行われているあたりまえのことで、毎年やられてきたが、今までは問題にされたこともない。それを平和と安全に対する脅威だなどとは、言い過ぎである。つまり、この問題に関して、朝鮮は悪くないのに悪者にされている。
 そして、特別の努力の必要という文言が、次回何かあった時に、だから、次は武力制裁を含むもっと強い決議をしなければ、とか、あるいは、この特別というコトバは、実は武力の行使をも含んでいるのだと言い出すことになることは目に見えるようだ。このたびの採決で、この「特別」とは、武力行使を含む第七章のことを意味するものではない、などという、断り書きはどこにもないはずである。日本国代表が、「(決議案)全体を考えると、それに代わる十分な強い表現を取り入れることができた」との判断から、七章の削除に応じて「安保理の結束の重要性」を最優先させたと安保理採決直後に述べていることもそれを裏付ける。

 同時期、数名の兵士が拉致されたからといってレバノンに全面攻撃を開始したイスラエル  に対する非難決議は、アメリカによる拒否権発動によって、いとも簡単に葬りさられている。このたびのイスラエルの準戦争行動と、朝鮮のミサイル実験、しかも問題となった長距離弾道弾テポドンないしは人工衛星の実験は、失敗では、と言われている、と、いったいどちらが世界の平和と安全に対する脅威であるか。理性のあるものには明らかである。

 アメリカは、いざとなれば国連なんぞなくてもいい、と思うから、常識ではありえないほど、この拒否権という特権をイスラエル擁護のために濫用している。中露は、自分たちまでもこれをやたらに使うと、国連の秩序自体が解体してしまうかもしれない、と躊躇する。

 だが、中国はこの問題について、妥協せず拒否権を貫かなかったことを後悔することになるのではないか。懸念したことは当たっていたのではと思われてならない。

 この玉虫色の落としどころをイギリスが決めるにあたって、安倍晋三陣頭指揮による日本の強攻な制裁主張が決定的であったことはいうまでもない。
 春秋の筆法なくしても、将来、もしそうなったなら、朝鮮に対する侵略行為の第一責任者は平和主義の最高法規をもつ国家、日本国であり、留守居役筆頭安倍晋三であることは確かである。日本国がつっばらなければ、この程度の実験で国連に決議がなされるということは決してなかった。六カ国協議という枠組みがまがりなりにも造られつつある時に、国連による制裁などというものが生じることもなかった、といいたいのである。