共産主義社会や国家が誕生したと、いつどのように判断出来るのでしょうか。

blueflame氏の疑問に私が答えます

@blueflame_tu

 

"共産主義社会や国家はまだ誕生したことが一度もない"という話を聞きます。これは、注意が必要な表現です。なぜなら、共産主義を名乗る社会なり国家が破綻した後にそう言っているからです。では、共産主義社会や国家が誕生したと、いつどのように判断出来るのでしょうか。これが私にとっての疑問です。
午後11:57 · 2024年5月23日

5月24日
日本共産党も昔の一時期は、ソ連についてこれこそが社会主義の勝利だと持ち上げていた時期があったようですが、後になって誤りだったと認めていますね。この先、社会主義共産主義を名乗る国家や社会が樹立された時、まだ一度も現れたことがないものをどうやってそうだと判断するのかということです。
共産主義社会は、まだ見ぬ未知の存在、仮説段階の存在だと主張するのであれば、これについて科学的な態度で考えるなら、それ(共産主義社会)は存在しない、または永遠に到達出来ないという結論が導かれる可能性も想定する必要があるでしょう。


5月25日
共産党の"壮大"な、または"遠大"な未来社会論は、人類が火星に降り立つのが先か、共産主義社会が訪れるのが先か、みたいな途方もない話に見えます。理想が高いのはいいですが、本気で相手にされなくても当然です。足下の資本主義や社会問題を正すのに専念する方向でお願いします。

 

私の答えは以下の通りで、ツイッターにのせました。

 

代わりに疑問に答えましょうか。

5月23日
"共産主義社会や国家はまだ誕生したことが一度もない"という話を聞きます。これは、注意が必要な表現です。なぜなら、共産主義を名乗る社会なり国家が破綻した後にそう言っているからです。では、共産主義社会や国家が誕生したと、いつどのように判断出来るのでしょうか。これが私にとっての疑問です。

ツイッターの載せた私の答え。

 

共産主義社会や国家はまだ誕生したことが一度もない"という話」

まず、これは「話」ではなく、事実です。


細かく述べます。

共産主義社会はまだ来ていません。

資本主義社会は、社会が資本の利益を求める欲望によって回っている社会のことで、今の日本や欧米はそうです。
共産主義社会は、社会が社会の公的な利益によって回っている社会で、資本主義社会とは社会の仕組みが異なります。
資本主義も、共産主義も、社会を成り立たせている法則の違いで分けられます。国家の性質とかは関係ありません。

ちなみに、革命、レボリューションといのは、本質的には社会を動かしている法則が変わることを意味します。政治革命は厳密にはその一過程にすぎません。

さらに、「空想から科学へ」やレーニンの説明によれば、共産主義社会ではは国家は死滅していて存在しなくなりますので、「共産主義国家」という

ものはそもそもあり得ない概念です。「共産主義国家」はこれまでにもなかったですし、未来将来にわたっても、出現することはありません。

では、あなたも言われている「共産主義国家」とは何か。具体的にはソ連、中国、ベトナムキューバなどの社会主義社会とその社会を運営している「国家」のこと、

及び、第二次大戦で、日独伊から解放された東欧の人民民主主義国家の事も含める場合がありますが、それらの事です。
これは、社会としては、まだ資本主義社会ですが、国家権力を資本家ではなく、賃労働者とそれを代表する権力「共産党」などが、共産主義社会の実現を目指して、社会を規制する社会でした。

社会主義とは、共産主義社会をめざしていく過程、運動、過渡期社会のことですとりわけ、遅れた経済社会からスタートせざるをえなかったこれらの国はまず、生産力を上げることに、人々の公的民主主義的意識を高めることに集中せざるをえませんでした。

国家自体も一つの大きな独占資本として、公的な利害を追求しつつも、国営公営企業を運営、規制することにもなりました。これは矛盾のある過程で、間違いも発生し、正されることもたびたびでした。一番大きな間違いは、スターリン主義というやつです。
ソ連の崩壊は、共産主義社会を目指すこの過程、

特に民主主義の改良の途上での出来事です。理由は理論的な間違いもありますが、資本主義の包囲に抗しての冷戦が強いた軍拡の負担、チェルノブイリ原発事故、国際紛争への介入などに経済が耐えられなかったことが根本原因でした。

 

ソ連ゴルバチョフが試みたペレストロイカという最後の改革はソ連では失敗に終わりましたが、ある意味、中国、ベトナムなどの改革に引き継がれています。自由化、民主化の徹底という点では課題を残していますが。


ご質問の「共産主義社会や国家が誕生したと、いつどのように判断出来るのでしょうか。」ですが、
国家が眠り込むことは、たぶん判断の指標の一つになると思いますが、

この質問への一般的な答えは、生産活動も含めた社会の各分野が、金儲けのためではなく、公的なその活動の性格と必要のために行われる

ようになっているかどうかだと思います。国家や公共機関の活動に今でも萌芽的に存在するこうした傾向や住民による規制統制が全面的になるということです。
余暇時間を利用した自由な社会活動が開花する事態も、指標のもう一つになると思います。

資本主義という経済の仕組みは、社会の全体的な利害が見えない、情報的に遅れた段階の社会で生まれ、生産力を発展させることに貢献しましたが、社会の全体が万人に見通せるようになった今では、単なる桎梏になるだけです。今の日本を見てもそれはわかります。それは、転換させなければならない課題とし

て、日本に突き付けられているというべきです。

以上です。反論、疑問があるようでしたら、答えられる限りで、私の見解、そんなにおかしい主張ではないと思いますが、や根拠も示します。共産党員の人たちほどではないですが、私もそんなに暇ではないので、時間がすぐでなくてもご容赦ください。