私がテレビを見なくなったわけ

 私はテレビをほとんど見ない。だから、これはよい番組だったから見ておけばよかったとたまに思うこともあるが、見逃すことが多い。
 私がテレビを見なくなったのは、実家を離れて一人暮らしを始めた時が最初だ。その時は一万五千円くらいの2インチくらいの白黒ブラウン管つきテレビチューナー(オーディオステレオセットの一部分としてスピーカーから音を出していた)を持っていただけだ。その後、マイコンやゲームブームの中で、セガのゲームや某ホームバソコンをつかうようになってテレビを購入して、テレビも見るようになった。結構ビデオもとったが、次第に結局また見なくなってしまった。
 どうしてそうなったのかと考えてみると、当時見た映画のことを思い出す。それは、「華氏451度」という洋画で、レイブラッドベリというSF作家の長編小説を映画化したものだった。本を読む事を禁止されている全体主義国家の話で、どの家庭でも人々はテレビのスクリーンを呆けたような表情で見入っているのだ。怖いと思った。僕の中にもそういう、何も考えずにテレビばかり見て時間をつぶす傾向を感じたからだし、僕の家庭では、すでに、食事時とかでも会話はなく、親はテレビを見ているばかりだったのがやな感じだったこともあったからだろうか。とにかく、そうした受け身の生活をしている無批判な人々があって、権力者の監視国家がなりたっている姿は心底恐ろしかった。本は、そこでは批判的にものを考える手段になるとして、禁止されていた。華氏451度とは、本が燃え始める温度なのだそうだ。そういえば、アメリカ人の監督がそれをもじった題のドキュメンタリー映画をつくっていたっけ。
 とにかく、そのスクリーンに映ったぼーっとテレビを見、うつろな返事しかしない家庭のシーンを怖さとともに今も思い出すのだ。

 残念ながらブラッドベリの予言は今のところ、ほぼ実現していると認めないわけにはいかない。

 選挙を、はやく選挙を。