園良太さんのブログを読んで

左翼の園良太さんが、自身も支えるメンバーになっている経産省前テントでの脱原発座り込みについて、書いている。それを読ませてもらった。

経産省前テントでの座り込みがずっと続いている。
このことの意義は大変大きいと思う。
しかし、反原発運動している右翼がテント撤去に反対する申し入れを経産省に行ったことを、テントを支える人たちが、迷惑だと言っていることに、読んでなお違和感が残った。

テントであっても、ただの中立の存在ではない。平和運動をやっている市民グループや、園さんのような左翼が日常を支えている。そして、その人達は右翼と9条改憲嫌韓朝中の民族排外主義、などで、対立もし、衝突もあった。テントを支えている人たちが、いままでのそういうことにこだわるのはわかる。その右翼が運営委員会に参加して一緒にテントに入りたいと言うなら、断る権利もそれなりの理由もあるだろうと思った。だが、そういうことではない。右翼がテントを自分たちの見地から意義ありとみて、それをつぶそうという経産省に抗議したのなら、お礼くらいいってもよいのではないか、ただし、排外主義や暴力には同意出来ないし反対であると釘をさせばいい。批判の自由はそういうふうに使うものだ。

園さんは、日本における反原発脱原発運動が、他の国と同じ状況のものではなく、すでに事故下にあり、経産省前でもストロンチウムが出、セシウムの汚染がある緊急下のものであることがよくわかっていないのではないか。再度の大地震があれば、どこの原発も危険なのだ。原発を止めるのは日本の緊急事態の必要なのだ。右翼だろうが、なんだろうが、原発をやめるために動くものとは、合同するのには無理があっても、協力できることはなんでもすべきである。ファシズムという点では、菅井は、橋下氏の方がもっと現実的危険があると思っているのだか、もし、橋下が大阪市長選に当選して、なお、脱原発というのなら、その点では協力すべきであると思う。

なお、園氏のブログに、右翼のその人たちが、独自に愛国反原発デモを組織していて、そっちに、人が奪われていることを懸念している記述があったが、行きたい人は行けばいい、両方行く、という人もいてよいのではないか。勢力争いにこだわってるように感じるのは、危機感があるからだろうが、それは当然おこることなのだ。

日本の現状を見れば、ネットでは愛国派はまだ大きな勢力だし、リアルでも、思想状況でいえば、平和主義、左翼は負けている。とくに、左翼は、現在少数派になっている。それを考えれば、本気で反原発運動をする保守とか右翼があれば、若い人がそちらにたくさんいくことは現状では当然起こる。

原発がウソの口だけの主張であったりしたら、それを暴露しなければならない。だが、本気ならば排外主義や軍国主義的な面を理由に、攻撃するのは正しくない。今はそれは批判にとどめなければならない。攻撃と批判はちがう。主催団体の排外主義に対しては批判してよい。それが言論の自由ということだ。だが、原発事故のデータ隠しに不信と怒りをあらわしていたネットの書き込みをしていた若者の多くはまた、ネトウヨでもあったと理解している。そういう人は、左翼主催のデモにはそもそも来ない。また、左翼色が強ければ、ひいてしまう。

だから、園氏の恐れるように、右翼の運動にせっかく園氏が説得して集めた人が行ってしまうということはありうる。それは、平和主義のおかれている現状からするとしかたない。それより、あらゆる力をつないで、原発停止から解体へを実現することの方が大事なのではないか。

共産党が、原発停止という一点での協力という言い方をしているが、それは、今までの一連の対立やいさかいをたなあげできるのならして、という特別なことなのではないだろうか。

原発停止はこの一二年の短期勝負の可能性は十分あるので、そのためにはあらゆることを考えるべきだと、やはり思うのである。

その点でいうと、園氏の主張と、構想する運動のイメージは違和感があり、もったいないと思う。



なお、右翼は改憲再軍備核武装を支持するものも多いので、その立場からは、核武装のために原発もんじゅは止められない、となるはずなので、脱原発運動の方向とは矛盾する。それでもなお、これは許せないという右翼しか、脱原発に向かうことはない、と菅井は思っている。