教育基本法廃止さる

 改正教育基本基本法 が 自民党公明党の賛成により、国会を通った。防衛庁の省昇格と同時にである。

 この改正教育基本法にかかわる国民の意見をきくためのタウンミーティングがまったくのやらせであることが暴露された時点で、改正の要・不要を問うことから仕切り直しすべきであったが、それは行われず強行された。要りもしない国会日程を何日も延長して、何が何でも通そうとのシフトでそれはなされた。タウンミーティング実施の事実上の責任は、当時官房長官安倍総理本人であったが、わずかな給料の減額という金でかたをつけたのみである。「教育の憲法」とも言われた教育基本法の変え方としては、それにふさわしいやり方とはいえなかった。議論をつくすという民主主義の最低限は尊重されなかった。言論によってではなく、強力によるものである。

 その内容は、「改正教育基本法」を支持する読売新聞によれば、
《 改正教育基本法の採決では、自民、公明両党が賛成、民主党はじめ野党は反対した。「教育の憲法」とも言われる教育基本法の改正は、1947年の制定以来初めて。改正法は、前文と18条で構成。公共の精神の尊重を強調し、現在の教育環境に即して、生涯学習や大学などに関する条文を追加した。教育目標に「我が国と郷土を愛する態度を養う」との表現で、「愛国心」も新たに盛り込んだ。
 また、年限の弾力化を含めた将来の義務教育議論を進めるため、義務教育年限の「9年」を削除した。》とある。この要約をとりあえずよしとしよう。つまり公共の精神と愛国心の注入ということである。

 「公共の精神の尊重」と「愛国心」とあるが、この「公共の精神」なるものは、「国家」に従順に従うことを意味するものであり、基本的人権の尊重に基づく真の公共性とはちがう。「愛国心」は、今まで日本が培ってきた慣行や共同性を無視、破壊し、幻想の「日本」なるものに忠誠を強いる「愛・国家・心」である。「改正教育基本法」は全体として、基本的人権の尊重にもとづく民主主義とは相容れないものである。

 なお、念のために言えば、「改正教育基本法」は「教育基本法」の修正ではなく、まったくの別理念にもとづく別法である。現憲法アメリカ軍に押し付けられたものと主張し、「教育基本法」を憲法と一体のものとして攻撃してきた自民党らの立場からすれば、憲法改正は押しつけ憲法の廃止と旧体制への復帰であるように、「改正教育基本法」とは「教育基本法」の廃止と、教育勅語の方向への復帰に他ならないのである。