被搾取階級は助け合わなければならない

 先日、重い荷物をひいて、駅の階段をのぼっていたら、見知らぬ女の人がうしろを支えてくれたので、楽になった。以前は、大きな荷物を持って電車を利用する人はもっとたくさんいたが、今は、東京のひとたちは一様に身軽である。だから、そんなこと(助け合いと呼ばれた)もあまりないかもしれない。
 体も楽になって助かったが、心も楽になった。ありがたかった。
 諸民は、被搾取階級は、搾取階級の宣伝を本気にしてばらばらにされて一人でがんばらされているが、本気にしてはならない。被搾取階級は助け合って生きていくものだ。
 搾取階級は特権をもっている。だから一人で生きていける(ように見える)。そして、被搾取階級を支配するためのつながりを現実にもっている。官僚制度や警察のことをいっているのではない。 広瀬さんの「持丸長者」をみればわかるような、血縁や世話、付き合いや、つながりのことを言っているのだ。賃労働者のつながりは、目の敵のようにたたかれるが、経営者の私的談合組織は、あって当然のように、場合によっては、公的機関であるかのようにふるまったりする不平等のことをかんがえてみるがよい。
 助け合いは諸民の、被搾取階級の道徳の出発点である。