原発やめろデモ 8.6

日比谷を出発して新橋に至るデモ。高円寺、渋谷、新宿ときた第四弾(?)は、都心、原発事故に責任のある企業をめぐるコースとなった。四回目で日比谷はちょっと早すぎるような気もしないでもないが、そうもいっていられない。いろんな食料が国の改悪した上げ底の規制値にてらしても、危険ということで、出荷停止になった。牛肉は四県、一割の牛肉が市場から消えた。海産物も基準値がなくて規制されていないが、具体的に汚染の数字がでてきている。今年収穫のお米については、セシウム米などといわれ、不安視されている。国内の食べ物は食べられるものがない、ということだってありうる。福島からの疎開、移民もはじまっている。原発事故難民の時代がきているのだ。でも、ここやったら、あとは国会前しかないんだけど。

3.11東日本震災と福島第一原発事故のずいぶん前、サウンドデモというものが始まったばかりの頃、大久保通りの言論カフェで、素人の乱店主の松本さんの流してくれたフランスでのデモのビデオは大変楽しそうなものだった。若手の人気政治指導者の表情も生き生きとしたものだった。

それが、原発事故があり、抗議となって大きくなってきていると認識している。


今回も基本は同じだが、規模が大きくなると、いくつかに別れてくるのはしかたない。サウンドカー一台が先導できる範囲は限られているので、サウンドカーを単位として分かれる傾向がある。音楽のしかたも、種類もさまざまで、DJ形式のところもあれば、ライブ形式のところもある。音楽から遠くて、普通のデモ歩きのようなところもある。


今回の目玉は、東電、九電をはじめとする、原発企業に停止、撤退、廃炉を直背呼びかけ、責任を追求することだったのだから、それらの企業ビルが近づいたら、それを紹介するアナウンスはスピーカーで徹底してほしかったが、わからないで、歩くだけになっていたところもある。松本氏の解説はあとで放送録画を聴く限りよくできているので、無線LANなどで全体に中継してもよかったかも。


あとは、旧来の労組のデモなどで、シュプレヒコールが長く、複雑になっていたのが、サウンドデモでは、単純でリズミカルでだれにも言えるスローガン「原発止めろ、命を守れ」などが普及している。だが、それは旧来のシュプレヒコールに代わるものにはなりそうもない、と思う。ま、先導する人たちはそういうものとして使っているのだが。たくさんの人が一斉に同じことばを繰り返す、ということはデモ全プロセスにおいて要るものではないように思える。とてもたくさんの人が自分のコトバを語っているのだから、それでいいのだ。ぎゃくに言うなら、デモ参加者すべてが一斉に同じコトバを叫ぶとか、できたらいい。地球ジャンプじゃないが、地球上の大気をふるわす波になる。


今回は、新宿よりはるかに緊迫度が高かったが、それは警察の数の多さと声の大きさだった。逮捕や、挑発を極力心配してか、それを注意する声も大きかった。実はデモ隊よりは、ずらっと車道側をとりかこんだ警官の叫びの方がうるさかったくらいだ。そして、菅井のいた位置からは前方に見えるのは、サウンドカーではなくて、警察の塔つき車両なのだ。その上にたった警察の人も、歩道側によれとか、逆に前へつめろ、とか 通行人の迷惑になるとか、すみやかな横断をお願いしますなど、のべつくまなく、命令していた。右に曲がれ、左に曲がれ、まで、警察官が大きな声で指示しているのはなんだろうと思った。印象としては警察に先導されたデモのよう。おちつかないことはなはだしかった。


サウンドカー主体のサウンドデモの性質として、サウンドカーごとにまとまる性質があるが、それを逆手にとられて、間に警察の車両がはいりこんで、ちいさいデモにする、警察に囲ませることによって、街頭からも分離する、ということだろう。


この警察による二重の分断を突破しないと、いけないのだな、と思った。
もちろん、次回が国会前だったりしたら、圧力はさらに増すだろうが。


福島瑞穂共産党赤旗まで、やってきているこのデモは、言ってみれば、今の日本の「期待の星」である。しかけ人の人たちがうまいやり方を見つけて、犠牲を出さず、さらに盛り上げてくれることを期待している