「平和的生存権」

 「平和的生存権」という言葉が天木さんの紹介している箕輪登氏の言葉の中にあった。以下のようである。


「 何とかこの日本がいつまでも平和であって欲しい
平和的生存権を負った日本の年寄りの一人がやがて死んでいくでしょう
やがては死んでいくが死んでもやっぱり日本の国がどうか平和で働き者の国民で幸せに暮らしてほしいなとそれだけが本当に私の願いでした」



 「平和的生存権」は、個々人のもつ権利である。「憲法前文」に書いてあるし、25条にある「健康で文化的な最低限度の生活」の中には、当然、「平和に、やすらかに、おだやかに生きる権利」が含まれる。
 戦争があれば、生存権の保証などぶっとんでしまう。平和は個人の基本的人権である。であれば、諸民は、そのつどう社会を形成する原理として、設けられる国家に対して、戦争を制限、抑制するのが当然である。さらに歴史がすすめば、日本国憲法のように、国家に対して戦争を禁ずるのが当たり前である。
 第九条の戦争放棄は、平等権を形式的な選挙だけでなく、社会生活の実際にまで貫いた生存権に、本来当然に含まれるはずの「平和的に生存する権利」から導き出される帰結である。基本的人権としての平和的生存権あるが故に、戦争を国家に対して禁ずる権利を諸民は有する。国家にそれを禁じなければならないのは、地球に存在する様々な組織の中で、ただ国家だけが武力、軍事力をもつ組織、戦争ができる存在だからである。

 
 わたしは現状では護憲を支持している。だが、もし変えるとしたら、この平和的生存権をはっきりさせるために、


今の25条
* 日本国憲法第25条【生存権、国の社会的使命】
1. すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


に、「平和のうちに」「戦争の禁止」「世界平和」などを書き込みたい。


1. すべて国民は、平和のうちに健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2. 国は、すべての生活部面について、平和、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。国家の行為としての戦争は禁じられる。


 とすることを提案したい。もっとも、それは日本が対米隷属を脱した、真に自立した社会・国家を実現したあとの話だ。たとえ明文化されていないとしても、生存権には当然国民の「平和的生存権」は含まれているから今のままでもよいのである。