医療における似非科学

この日記で、似非科学批判を取り上げたことがある。
ホメオパシーという、医学における準、亜医学的理論への批判であった。それが理論であることを出て
日本でも、団体ができて活動し、影響力を持つようになっていた。

批判は、それをカルトとして論難するものであった。その際に依拠したのは、
「正しい認識」としての医学であった。

ホメオパシーは、医療とは異なる別の領域から出た理論ではなかった。だが、今日の医学の見地からみて、「ありえない」主張と、検証されない効果をもっている。「今日の医学」の見地からそれが批判されることも、当然である。

だが、菅井は、ホメオパシーをカルトとして、つまり、排除するのは正しくないと考えた。
その批判は目的を達成できないと思うからである。

ホメオパシーを非合法化することに成功したとしよう、諸外国の事情を見ると、菅井はその成功にも懐疑的である。今度は、別の種類の似非医学が出てくる。実際、健康ビジネスは花盛りである。「自由」経済は、それらをすべて禁止することはできず、「極端」なものをもぐらたたきのように、規制するにしても、いたちごっこである。そして、現在、「学」は無条件に権威を持つものではなく、個人個人がその権威を受け入れるかどうかを、学者でなくとも判断する時代になっているのである。

克服の不可能、結局それは、医学自体に解明さるべき穴があるからだというのが、菅井の見方である。それが何であるかについて、そのときには書かなかったので、書きとめておく。

○対象からいえば、自然治癒力

○方法からいえば、量的、統計的処理による検証 の 限界と、質的、本人の感覚を介した検証の不可避

○科学論からいえば、類の活動としての「医学」に加わる、個の活動としての健康探求へ。

メモがわりに書いておく。